祭典カレンダーRITUALS CALENDAR

    令和4年7

  • 7月1日(金)10時月始祭

    月の始めに行う神事(1月は除く)

    令和4年7月
  • 7月7日(木)10時七夕祭

    七夕の日は、古代中国では旧暦七月七日に女子が裁縫の上達を願う乞巧奠(きっこうでん)の行事が行われていたと伝えられ、すでにこの頃には牽牛(けんぎゅう)、織女(しょくじょ)の二星相会譚(にせいそうあいたん)の伝説も存在していました。平安時代には朝廷行事として儀式化され、江戸時代以降は五節供の一つとして、短冊に和歌等を書いて笹竹につける風習が生まれ、民間の行事としても社会に広まっていきました。

    石清水八幡宮におきましても、明治以前は「御節会(ごせちえ)」と呼ばれる七夕の節会を行っていた様子が鎌倉時代に記された『年中讃記(ねんちゅうさんき)』(『石清水八幡宮史料叢書(そうしょ)』第四巻所収)等の文献に記されています。

    七夕(たなばた)節(せつ)の日、平安時代の宮中においては相撲の奉納や和歌が詠まれ、夜には天皇が牽牛、織女の二星会合(にせいかいごう)をご覧になられ、盛大な節会が行われていました。

    また七夕の日は、古来索餅(さくべい)と呼ばれる小麦粉と米の粉を練って細長くして、縄の形にねじって油で揚げた菓子を食べる風習がありました。索餅(さくべい)は熱病除けの菓子であるとも言われ、宮中においては宇多天皇の頃より朝廷行事として七夕の日に食べられる様になりました。

    当宮においても江戸時代以前は、旧暦七月七日の七夕の日に索餅(さくべい)と甘酒を御神前にお供えし、祭典を行い、お供えした索餅(さくべい)と甘酒を撤下神饌(てっかしんせん)として供食(きょうしょく)する神事が行われていました。

    七夕の節供は、古来日本において皇室、民間に至るまで重要な節日であり、朝野を問わず広範な崇敬を集めていた当宮におきましても、七夕の節供は重要な節日であったと言えます。

    令和4年7月
  • 7月15日(金)10時月次祭

    毎月15日に斎行される神事(9月以外)

    令和4年7月
  • 7月18日(月・祝)10時高良社祭

    高良社祭は八幡に夏の訪れを告げる夏祭として、「太鼓まつり」の名で親しまれています。高良神社は『徒然草第52段』に、「石清水八幡宮を参詣しようとした法師が、山麓の高良神社を八幡宮と思い込み、後に八幡宮は山上にあることを教えられた」という有名な話に登場する神社で、当宮の摂社であり、また八幡地区の氏神様でもあります。
    『男山考古録』によると、今から約220年前の天明3年~4年(1783~84)頃、地元有志の熱意により高良神社前に提灯を並べ茶店を出すなどして私的行事として始められたのが高良社祭の始まりといわれています。その後、文政年間(1818~1830)頃に太鼓を載せた「屋形神輿」が町内ごとに作られ、「ヨッサーヨッサー」の掛け声と共に町内へと繰り出す豪壮な「太鼓まつり」へと発展していきました。
    最大の見所は、高良神社に各神輿が一堂に集まる「宮入り」で、参道を練り歩くその姿は迫力満点です。また、石清水八幡宮青年会により復興された「提灯献灯」により、参道には約500灯もの提灯の燈が灯ります。

    ※本年は新型コロナウイルス感染症拡大の状況に鑑み、「宮入り」は中止となっております。

    令和4年7月
  • 7月18日(月・祝)11時若宮社祭/若宮殿社祭

    摂社 若宮社・若宮殿社の例祭

    国の重要文化財に指定されている「若宮社・若宮殿社」では石清水八幡宮の主祭神である八幡様(第15代天皇 応神天皇様)の皇子様と皇女様をお祀りしております。

    令和4年7月
  • 7月19日(火)10時厄除開運交通安全祈願祭

    令和4年7月
  • 7月31日(日)10時住吉社祭

    摂社住吉社の例祭

    令和4年7月