歴史と信仰
御祭神
- 中御前
- 応神天皇(おうじんてんのう)(第15代)
[誉田別尊(ほんだわけのみこと)] - 西御前
- 比咩大神(ひめおおかみ)
[多紀理毘賣命(たぎりびめのみこと)
市寸島姫命(いちきしまひめのみこと)
多岐津毘賣命(たぎつひめのみこと)] - 東御前
- 神功皇后(じんぐうこうごう)
[息長帯比賣命(おきながたらしひめのみこと)]
“やわたのはちまんさん”の名で親しまれる石清水八幡宮
平安時代初め、清和天皇の貞観元(859)年、南都大安寺の僧・行教和尚は豊前国(現・大分県)宇佐八幡宮にこもり日夜熱祷を捧げ、八幡大神の「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との御託宣を蒙り、同年男山の峯に御神霊を御奉安申し上げたのが当宮の起源です。“やわたのはちまんさん”と親しまれる当宮が御鎮座する八幡市・男山は、木津川・宇治川・桂川の三川が合流し淀川となる地点を挟んで天王山と対峙する位置にあり、京・難波間の交通の要地であります。
“吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん”
天慶2(939)年に起こった平将門・藤原純友の乱の折には、朝廷よりご請願があり八幡大神様の御神威をもって速やかに平定されて以来、国家鎮護の社として皇室の御崇敬は益々厚いものとなり、天皇の行幸や上皇の御幸は、円融天皇(第64代)の行幸以来、実に240余度にも及び、伊勢の神宮と共に二所宗廟とも称されました。
明治の初めには官幣大社に列せられ、「男山八幡宮」と改称されましたが、「石清水」の社号は創建以来の由緒深い社号であるため、大正7年には再び「石清水八幡宮」と改称され現在に至ります。
御神徳 -世は変われども神は変わらず-
清和天皇の嫡流である源氏一門は八幡大神様を氏神として尊崇し、その信奉の念は格別で全国各地に八幡大神様を勧請しました。源義家は石清水八幡宮で元服し自らを「八幡太郎義家」と名乗ったことは有名です。
以来、国家鎮護、厄除開運、必勝・弓矢の神として時代を超えて人々の篤い信仰を受けてきました。とりわけ当宮の厄除信仰の歴史は古く、今なお全国屈指の厄除の神社として新春の厄除大祭を始め年間を通し参拝に訪れる方々は跡を絶ちません。
「世は変われども神は変わらず」-八幡大神御託宣-
八幡大神様の御神徳はまさに広大無辺であります。
境内のご案内
平成28年2月9日
石清水八幡宮 本社10棟、
附 棟札3枚が国宝に指定されました
平成27年10月16日の文化審議会において、古代に成立した荘厳な社殿形式を保持しつつ、近世的な装飾を兼備した完成度の高い神社建築として、高い価値を有していることが、評価され国宝へと指定されました。
現在の社殿は徳川三代将軍家光の造替によるもので、日本三大八幡宮の一社であり、伊勢神宮と共に二所宗廟。現存する八幡造の本殿の中で最古かつ最大規模です。
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本殿
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幣殿及び舞殿
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摂社武内社本殿
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西門
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楼門
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東門
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廻廊(三棟)
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瑞籬
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1一ノ鳥居
「八幡宮」の額が掛かる表参道入口の鳥居
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2頓宮
年に一度重儀が斎行される社殿
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3五輪塔
日本最大級の石造塔
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4高良神社
徒然草に登場する古社
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5影清塚
参拝前に己の影を写し心身を祓い清めた場所
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6松花堂跡
「松花堂弁当」の名の由来となった草庵跡地
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7石清水社・石清水井
霊泉「石清水」湧き出る当宮創建以前からの聖地
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8一ッ石
「勝負石」とも呼ばれる勝負必勝・勝運の石
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9エジソン記念碑
エジソンと八幡の竹とのゆかりにより建立
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10書院石庭
重森三玲作の石庭をもつ書院
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11楠木正成の楠
樹齢約700年の楠木正成奉納の大楠
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12築地塀
通称「信長塀」ともいわれる社殿を囲む土塀
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13鬼門封じ
東北の角が切りとられている石垣
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14八幡造り御本殿
1150年余の歴史と信仰の証
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14瑞籬欄間彫刻
壮麗な当宮の社殿を象徴する極彩色の欄間彫刻
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14目貫きの猿
一説には伝説の名工・左甚五郎の作といわれる彫刻
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14黄金の雨樋
天正8年織田信長寄進の雨樋(通常非公開)
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14流れ左三つ巴紋
御本殿の彫刻や軒瓦など各所に見られる当宮の御神紋