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令和7年1月1日(水・祝)3時若水神事
若水神事は、一年間の五穀豊穣・国民安寧を祈願し、その年最初に斎行される祭典である「歳旦祭」にてお供えする御神水を男山中腹に涌き出る霊泉「石清水」に汲みに行く神事です。
暗闇の中、提灯の灯りだけを頼りに「石清水」を汲み上げ、そして「歳旦祭」にてお供えします。また、当宮では御神水をお供えする祭典の場合、全ての祭典においてこの「石清水」を使用しています。
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1月1日(水・祝)5時歳旦祭
新年を祝い皇室の弥栄と国の益々の発展を祈るとともに、氏子崇敬者の方々と地域社会の平和と繁栄を祈り元旦に行われるお祭りです。
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1月3日(金)7時30分元始祭
年頭にあたり天皇陛下の弥栄と国の益々の発展を祈り1月3日に行われるお祭りです。
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1月7日(火)10時昭和天皇祭遥拝式 武蔵野御陵
武蔵野御陵を遥拝する神事
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1月7日(火)10時30分七草祭
中国では、秦・漢時代の頃より正月1日を鶏の日、2日を狗の日、3日を猪の日、4日を羊の日、5日を牛の日、6日を馬の日、そして7日を人の日として、それぞれの日の決められた動物の殺生を禁じ、7日の人の日には犯罪者への刑罰を行わないという風習がありました。
古来、日本では若菜を摘んで邪気を祓うために羹(あつもの=熱い吸い物)にして食する習慣があり、この若菜摘みの習慣が朝廷行事としても取り入れられるようになりました。もとは正月の子の日に「供若菜(わかなをくうず)」として若菜を献上するという朝廷行事でしたが、七種の若菜とは限らず12種供える場合もありました。正月7日としての「供若菜」は平安時代中期頃、貴族社会で盛んに行われるようになり、その様子は『枕草子』にも記されています。
そして江戸時代には五節供のひとつとして幕府の公式行事となり、将軍以下臣下にいたるまでが七草粥を食べて祝宴を催し、現在の七草粥を食す習慣の原型となりました。
この正月7日の人日の節供は、中国伝来の人日の節日と、日本古来の初春の若菜摘みの風習が融合し、邪気祓いや無病息災を願い七草粥を食する節供となり現在まで受け継がれていると考えられています。
セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ。
当宮におきしては、江戸時代以前には7種に若菜を御神前に供え、神事後にその若菜を供食(神様に召し上がって戴いたものを私たちも皆で分かち戴く、いわゆる神人供食)していたことが文献に記されています。
そして現在は、1月7日当日に「七草祭」(人日節祭)を執り行い、御神前に七草粥をお供えしています。
※参列ご遠慮いただいております。
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1月15日(水)10時月次祭並びに成人祭
毎月15日に斎行される月次祭に併せて成人の日を寿ぐ神事(9月を除く)
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1月15日(水)~19日(日)厄除大祭期間
当宮は厄除開運の神社として年間を通し多くの方々が厄除参りに訪れますが、特にこの期間は厄除大祭期間として親しまれてきました。
古くは「法会」と呼ばれ、正月三ヶ日さながらに多くの参拝者で賑わいます。
期間中の厄除開運祈願の祈祷者の方には、5日間限定の「厄除大祭札」をお受けいただきます。また、期間最終日の19日には焼納神事が斎行され、前年の古いおふだ・お守りが焚き上げられます。
そしてその大きく立ち昇った炎にて清められた当宮特製の「厄除餅」が先着1,500名の方に振る舞われ、毎年長蛇の列とともに境内が賑わいます。 -
1月18日(土)17時青山祭
明治以前は道饗祭(みちあえのまつり)または疫神祭(えきじんさい)ともいわれ、男山山麓の頓宮殿の前庭に青柴垣で囲いを作り祭場を設け、日没とともに道を司る神々を迎え、かがり火の灯りがゆらめくなか、国家安泰・厄除開運の祈願祭を斎行します。
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1月23日(木)10時比咩大神祭
御祭神の1柱である比咩大神様に向けた神事