勅祭 石清水祭
石清水祭は清和天皇の貞観5(863)年、旧暦の8月15日に「石清水放生会」と称し、八幡大神様が男山の裾を流れる放生川のほとりにお臨みになって生ける魚鳥を放ち「生きとし生けるもの」の平安と幸福を願う祭儀として始められました。そしてこの石清水祭が勅祭として斎行されたのは、天暦2(948)年の勅使御差遣に始まるとされています。
その後、円融天皇の天延2(974)年には朝廷の諸節会に準じ楽人舞人が舞楽を奏することなどが定められ、さらに延久2(1070)年には当日の太政官勤務の最上位たる上卿が勅使を兼ね、参議以下朝廷の諸官を率いて参向し、神輿の渡御を行わせ給うなど益々荘厳の度を加えることとなりました。
しかしながら、後花園天皇の御代(1428~64)の末年頃よりは諸国戦乱のため式日延引すること度々に及び、ついに文明年間(1469~87)以降は全く中絶するに至り、約200年を経て霊元天皇の延宝7(1679)年に再興され旧儀に復しますが、明治初年の大改革により石清水放生会の名は明治元(1868)年に『仲秋祭』、同3年に『男山祭』と改称され、同5年には神幸の儀が廃されて単に地方長官が奉幣使として参向されることに改められました。
しかるに、同16年、明治天皇には旧儀復興を仰せ出され、翌17年より毎年新暦9月15日に勅使参向の上、祭儀が厳粛に執行されることとなり、大正7年には明治2年以来「男山八幡宮」と改称されていた社号が旧称「石清水八幡宮」に復したことに伴い『石清水祭』と改称され、さらに昭和20年からは官制廃止により旧儀中絶の已む無きに至り、勅使のみ参向され祭儀を執行せられましたが、同24年からは石清水八幡宮一社において三たび旧儀により護持斎行することとなり、現在に及んでいます。
三大勅祭
石清水八幡宮では年間100余りの祭典を斎行しておりますが、その中で最も重儀として知られているのが石清水祭です。
「勅祭」とは天皇陛下のお使いである勅使が直々に天皇陛下からのお供え物(幣帛)を供えに参向される祭典のことで、全国8万社ある神社の中でもこの「勅祭」が斎行される神社は16社しかありません。とりわけ石清水祭は、葵祭の名で親しまれる賀茂祭(京都-賀茂別雷神社・賀茂御祖神社)・春日祭(奈良-春日大社)と共に旧儀による三大勅祭の一つに数えられています。
動く古典
祭典は、15日午前2時、山上・御本殿にて御鳳輦(神輿)3基に3座の神霊を奉遷する儀式より始まり、同3時には御本殿を出発、約500人のお供とともに山麓へと下り、絹屋殿に着御されたのち勅使以下の奉迎を受け頓宮に入御、次いで献饌・供花・奉幣・牽馬など古儀による奉幣祭が厳修されたのち、放生川にて魚鳥を放つ放生行事が行われ、御鳳輦は同日夕刻、山上へと還幸になります。
真夜中、松明や提灯の灯りだけを頼りに八幡大神をお乗せした御鳳輦(ごほうれん)が約500名の神人と呼ばれるお供の列を従え、男山山上の御本殿から山麓の頓宮へとお下りになる「神幸行列」、早朝空が徐々に明けゆく静寂の中粛々と斎行される「奉幣の儀」は”動く古典”として貴重な文化財といえるでしょう。
ご参列および
ご奉賛のお願い
当宮ではこの9月15日勅祭石清水祭の斎行に際し、伝統文化の継承・護持のため、金5,000円のご奉賛をお願い申し上げ、ご参列のご案内をいたしております。国家の平安と国民の幸福を願い、平安王朝より連綿と受け継がれてきたこの祭典の意義を一人でも多くの方に知っていただき、そして我が国の宝ともいうべき石清水祭を次代へと伝えるため、皆様のご理解ご協力を心よりお待ち申し上げております。
なお、ご参列に関する詳細などは当宮社務所までお問い合わせください。(お申込み期間:8月中旬から9月初旬)
石清水祭次第
旧儀による三大勅祭の一つに数えられる石清水祭は、真夜中、山上の本宮から山麓の頓宮に御神霊をお遷しします。